映画「神の唄」制作発表会_記者会見

映画「神の唄」制作発表会

「神の唄」監督

渡辺真也よりメッセージ

「神の唄」監督 渡辺真也

 3年ほど前、ドイツ・ベルリンで朝崎郁恵さんの歌うシマ唄「おぼくり」を聞いて、涙が溢れて止まらなくなりました。私をここまで深く感動させたものは一体何だろう?という疑問から奄美を訪ねてみると、文字を書くことを禁止され民族の誇りや文化の継承を絶たれた奄美の人たちが、自らの歴史をシマ唄にして残して来たということを知りました。

 奄美に残る古い言伝えと伝説、そして、小さな島で命を繋いてきた民族の声「シマ唄」、この島唄の物語には、現代に生きる私たちに訴えかけるものがあります。

 海に囲まれた南洋に浮かぶ“奄美”の知られざる神話と伝説の物語を、オール奄美キャスト&オール奄美スタッフで「シマ唄は世界が涙する芸術だ!」を合言葉に世界に発信したいと考えています。

映画「神の唄」プロデューサー(常田圭一)

映画「神の唄」プロデューサー(常田圭一)

 まずは、映画「神の唄」に協力してくれるすべてのスタッフに心からお礼を申し上げたいと思います。

 この映画の原作は「シマ唄によって伝えられてきた民族の生きた証」です。奄美創造の神話に始まり、信仰・教え・人々の関わり・生きる強さ・そして後世につなぐ・・・これら奄美の民のありようを渡辺真也監督は“芸術”と評してくれました。

この“芸術”を映像化するうえで、私が、今考える最高のスタッフと共にこの映画「神の唄」を製作できることをうれしく思っています。

奄美の美しさはもちろん、魅力的な登場人物、伝承に垣間見えるシマの尊さ、そして美しさを秘めた信仰と人々に寄り添う「シマ唄」を、奄美ファンタジーとして皆さんに楽しんでいただける、魅力的な作品をお届けしたいと思います。

 

奄美のシマ唄映画プロジェクト誕生の経緯(渡辺真也)

 このプロジェクトは、私が偶然、youtube上にアップされていた「奄美シマ唄」と書かれた音楽をベルリンで初めて聞いた時、生まれて初めて声を出して泣いてしまうという体験をしたことから始まりました。ここまでの感動を呼び起こしたのは一体何なのだろう?と思いつつ、私が教鞭を取るベルリン工科経済大学の授業にてこの曲を流してみた所、ユングの研究をしている学生が「彼女の名前はイクエだ」と教えてくれました。そこでIkueとamamiで検索をかけた所、朝崎郁恵の名前が登場、この曲が朝崎郁恵の歌う「おぼくり」であることを知りました。

 

その後私は、この曲をベルリン工科経済大学の授業にて何度か再生したのですが、約60人の教え子のうち3人が渡辺信一郎監督のアニメ「サムライチャンプルー」を通じてこの曲を知っており、またこの曲を知らない学生たちも鳥肌が立ったと発言、さらにこの曲のYoutube再生数が世界中からのアクセスで300万回を超えていることから、奄美のシマ唄が世界的な芸術作品になり得ることを確信しました。

 

 そんな矢先、私のファンだという愛知県出身の奄美2世の方から、「私の父の故郷である奄美を舞台にした映像作品を撮りませんか」という相談を受け、2017年2月にその方の親戚筋である奄美大島龍郷町のお宅に2週間ほど居候させて頂き、リサーチを行いました。その際、奄美の人たちは私が訪ねて来た世界58カ国の誰よりも優しく美しい心を持っていることに心打たれ、薩摩の植民地となった奄美に債務奴隷制度が生まれたことや、漁業が禁止されると同時に黒糖の生産が強制され、そこで生産された黒糖が薩摩藩の全収入の1/3を占め、それが明治維新の倒幕資金になったことなどを知りました。

 

 その後朝崎郁恵を訪ねると、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の落人たちが奄美に日本文化を伝えたことや、薩摩の圧政の下で文字を書くことを禁止された人々は、その辛い思いをシマ唄にして表現したのだと語り、弾き語り『哀史奄美』を披露してくださいました。またも涙が止まらなくなった私は、奄美のシマ唄が映像や音声記録として十分残っていないことを知り、是非彼女が元気なうちに、その唄声と映像を4K, 5.1chという最高の映像作品として記録として残すことで、日本のみならず世界の未来の記憶のために奉仕したいと考え、ベルリン芸術大学での博士号取得のタイミングで日本に完全帰国しました。

 

私は奄美の集落に残された伝統芸能シマ唄に残る奄美の歴史の物語を、朝崎郁恵を含むオール奄美キャスト&スタッフにて、その唄が実際に誕生した場所で、失われつつある奄美の方言シマユムタにて再現・保存し、シマ唄を芸術として発信したい。奄美のシマ唄に残る、自他の区別を超えた「情」の世界を、奄美の人達と共に芸術として世界に紹介することで、奄美の唄者を世界に誇れる芸術家として紹介したい。

 

 

 

 

- 奄美のシマ唄に歌われる情緒の世界を、芸術作品にすること -

 

 私は5年半のドイツ生活を通じて、ドイツ人と日本人の最大の違いは、コミュニケーションにおける主体的エンパシー(感情移入)と間主観性的なシンパシー(共感)の違いだと考える様になった。間主体はややもすると「空気を読み合う」態度に劣化することもあるが、全く人の気持ちを理解することのできないドイツ人に出会った時、日本人の持つ「思いやり」は自他の区別を超えた美徳であり、それが情の世界であると考える様になった。知は移らないが、情は移る。つまり情は、「わたし」と「あなた」という個体の違いを超えている。近代とは「はい」と「いいえ」という二元論的な分化作用による理知的な男性原理(陽)の時代、すなわち知の時代だったが、近代を超える時代は、異なったものを繋いで行く一元論的かつ抽象的な女性的原理(陰)の時代、すなわち情の時代と考えられる。

 

 宗教や民族の枠組みを超えた全ての人間に共通するのは、一度生きて一度死ぬということだけであり、その一度きりの生を最大限幸せに生きることが、全ての人にとって重要である。この全人類に共通する普遍的な目標を達成すべく、人は家族や部族、国家を作った。しかし国民の生命の安全を保証するはずの国家が、敵対概念による定義故に国家間の緊張を生んでしまい、それが国民の生命を危険にさらす可能性を高めてしまっている。そうであるのなら、全ての人間に共通する、たった一度きりの生の安全を保証する新たな枠組みを国家を超えて作るべきであり、その為には国家を規定するネーションよりも抽象度の高い、日本→アジア→ユーラシア→地球といった規模から新たに枠組みを作る必要がある。その為には、理知的な分化作用である情報ではなく、異なったものを繋げて行く、物語的な抽象の作用が必要となる。

 

 自然に囲まれて育った人は豊かな死生観を身につけることになり、深い情に根ざした共感能力の高い人間になる。しかし急速な近代化を通過した日本列島に住む日本人の多くは自然との接点を失ってしまい、死生観や情の理解を劣化させてしまった。死生観の劣化は、自らが祖先たちからのバトンを受け取った存在であるという認識を困難にしてしまい、それが子供たちの未来を考える能力や未来へのビジョンを描く能力を低下させた結果、今だけ金だけ自分だけといった虚しい日本人が増えてしまった。

 

 日本が見失ってしまった自然との繋がりを回復する試みとして、私はこの映画を作りたい。この近代的かつ男性的な二元論の世界から、非近代的かつ女性的な縁起によって成立する一元論の世界へと、島尾敏雄が「ヤポネシアの根っこ」と呼んだ奄美からひっくり返して行きたい。マングローブ原生林や、激しい地形の起伏が織りなす太古からの自然が手付かずの状態で残っている奄美には、アラセツやマンカイ、ショチョガマ等の儀式が残っている。そこでの人間と自然の営みをテーマにすることは、岡潔の言う「情緒」や、白川静が初期万葉集に発見した植物との対話や信仰の対象としての「みる」の概念、柳田國男が古代日本の女性が持つとした霊力「妹の力」、さらに丸山眞男が古事記に発見した、日本の古層にある「なる」の概念のルーツを探るものにもなるはずである。

 

 私はドイツ緑の党を創設したアーティスト、ヨーゼフ・ボイスの研究でベルリン芸術大学の博士論文を書いたが、彼は考古学的価値を持つ芸術、すなわち魂の領域を扱う本来的芸術への回帰を提案した。ボイスの言葉「全ての人は芸術家である」は、芸術をなりわいにしている人ではなく、一般の生産的な仕事に従事している方たちを芸術家と見なすことで、社会の中における彼らの存在価値を見つけて、その居場所を作ることを積極的に後押しする言葉であった。

 

一昔前の奄美では、奄美に生まれたことにコンプレックスを抱いてしまい、内地にて自分が奄美出身だと言えなかった人が少なくなかったと伺った。東京で出稼ぎしていたある男性は、カーラジオから元ちとせさんの曲が流れて来た時、自分が奄美出身であることに初めて誇りを持つことができたその瞬間に涙が溢れ、車を路肩につけて声を上げて泣いてしまったという。私に奄美で映画を撮って欲しいと相談して来た女性の父も、内地の方との結婚後、アイデンティティの葛藤に悩んだ方であった。そして何を隠そう、静岡県沼津市の魚問屋に生まれた私も、似たようなコンプレックスを東京に対して少なからず抱いていた。しかし実は、東京に住む人たちも似た様なコンプレックスをアメリカに対して抱いており、さらにアメリカ人はそれをヨーロッパに対して抱いていることに気づいた時、自分たちを支配したものたちの文化の方が優れているという誤った思い込みが、あたかもハラスメントの様に連鎖しているのだと理解できた。

 

 キュレーターを経て映像作家になった私は、奄美のシマ唄を芸術にすることで、奄美の人たちに自分たちの文化の素晴らしさに気づいてもらい、コンプレックスから解放されることで、奄美出身者としてのアイデンティティを確立することができると考えている。映画『地球交響曲 第一番』でアイルランド人ミュージシャンのエンヤが日本に紹介され、ケルト文化の芸術性が確立されて行った様に、ドイツで現象学を学び美術博士号を認定された私は、奄美のシマ唄を芸術として世界に紹介することで、奄美の唄者を世界に誇れる芸術家にしたい。それは20世紀を戦争の世紀とした近代的かつ男性的な支配者原理を乗り越えることにもつながり、私たちの住む21世紀を女性的かつ水平的つながりのある共存の世界へと導くことだろう。

 

映画「神の唄」組織図

映画「神の唄」組織図

奄美新聞 2019年1月24日 「シマ唄を世界に発信」

南海日日新聞 2019年2月2日 映画「神の唄」制作発表

映画「神の唄」応援団 参加のお願い
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